2016/11/11

曹操の銅雀台


2016年10月22日 ツアー二日目。

鄴城博物館からバスで5分で銅雀台・三台遺趾公園に到着。

門の前にでっかい曹操の像がありますが、三国志本やその時歴史が動いたや蒼天航路や三国志ソシャゲに慣れた目にはなんか違う(-д- 三 -д-)
 
 
 
 
 
❌礼服姿で威圧感のあるヤリ手社長風
⭕龍軍装&ごつ軍馬のちょい悪オヤジ風

曹操のイノベーターとしての評価は中国でも日本でも変わらないのですが、中国だと政治面、日本だと軍事面に偏ってるのかな?

 
 
 
 

門をくぐって左手には、真田の抜け穴ならぬ曹操の抜け穴。

当時は6kmあり、敵が攻めてきた場合に城壁に殺到する敵のうしろに密かに布陣して挟み撃ちにしたり、帰ってきた自軍を効率良く収容するための積極的なものとのこと。

ちゃんと馬が通れる高さです✨


 
 
 
 
曹操倒せーって銅雀台を勢い攻めてたら、後ろから曹操とか、曹操っぽくて素敵ですね(*´ω`*) 
 
 
 
 
 

今ではわずか100メートルほど☆

反対側に出ると、見事な版築の層が見られます✨
 
 
 



基台と建物を合わせて、およそ30メートルの高さがあったという銅雀台。


ここに来るまでは驚くべき高さの壮麗な宮城のイメージでしたが、

鄴城博物館 でみてきたところ、
宮城とみせかけた要塞とおぼえたり✨

都市・鄴の真ん中ではなく、城趾の弱点にあたるところの横、城壁のライン上にみっつ並んでいました。

(黄河の支流の氾濫で二つは流失してしまい、ここは写真の一番奥の金凰台です)



 
 
 
三台の間の城壁抜こうとしたら左右&真上から矢や煮え油の雨あられだし、

地形も凹角の袋小路に川もあって、さっきの抜け穴とかから騎兵発射したらめっちゃ面白そう✨(*゚∀゚人゚∀゚*)♪✨真田丸っぽーい

出土の龍の欄干は壮麗というより、力強くてcoolです(≧∇≦)b




 
 
 
 
 

上にはいくつかの廟堂があり、

まわりを巡れるようになっていました。
 
 
 
 
ベージュと刷毛目の焼酎カップ
https://www.iichi.com/listing/item/1005546
 
 
 
 



上からみる曹操が敵襲を想定した方向(ノ-o-)

黄河の中流域、中原は本当に真っ平らでした。



高いところに築かれた山城や
街道沿いのちょっと開けた場所で戦うことの多い日本のいくさと違い、

中国やローマでは時には数十万の軍が大平原で布陣し合い、その妙を競います。

ただの平らな平原ですが、これがみたかった✨


中国では黄河文明ができたはじめから、平原の中に街があり、高い城壁をめぐらせ、

その覇権と付随する産業や徴兵・徴税権を取り合います。

街が焼き払われ滅びることも珍しくなく、この鄴も曹操の時代の約300年後 灰燼に帰しました。



 
 
 
戦争は平和と対比され、多くのアーティストが憎むものですが、その本質は縄張り争いです。

私たちがネズミのころからあるもので、猿に進化し木の上で生活する上で自分と仲間、別の集団を分けるもの。

死にたくないという感情に寄り添う傾向は
パーソナリティのもとです。

 
 
 
 

簡便な殺戮兵器、爆撃機も機関銃もなく、

やりと弓、歩兵と騎兵で布陣して戦う時代には、

相手の意表を突くことに特化し合理性を追求する強烈なパーソナリティがときどき出てきます。

自らを含む生死を扱いながら、オーケストラの名指揮者のようなギリギリの調和をつくる。

それを成し遂げた一人が曹操です。
 
 
 


 

さて、このあとは今日のハイライト✨

特別に入れることになった曹操墓です(*´ω`*)