今年最初の寒波が去った翌々日。
所要にちょっと大回りな寄り道をして
琵琶湖の東岸、安土城跡に行ってきました。
観光案内所に電話したところ、
「細い道の日陰がアイスバーンになっているところがあるが、
幹線道路で来てくれれば大丈夫。」
とお返事いただいて、高速道路を北東に三時間。
竜王インターを降りると道路はほぼ乾いていましたが、
広がる田畑は銀世界。
琵琶湖に流れる川辺も家々の屋根も真っ白で、
道沿いにいくつか雪だるまも見えました。
遠くの場所という前提で観ていた映像と
ほとんど物語の人物の現実が目の前に広がると
手に汗握る映画のハイライトでも、
難しい歴史クイズを正解したときでも得られない
気持ちのざわめきがあります。
七重の城郭は白い壁に漆の黒いふちどり。
紺や赤、金の絶妙な配色に彩られていたという安土城。
築城時は琵琶湖の内湖の上にあり、
盂蘭盆会、お盆の夜には
信長さまが家臣ひとりひとりににたいまつを持たせ、
この道々や回廊に並べられた無数の提灯の明かりが湖水に映り
たいそう珍しく美しい光景だったと伝えられます。
本能寺の変後、秀吉と光秀が戦った山崎の戦いの二日後、
天主閣は火事となり北西側に倒れこむように焼け落ちましたが、
この大手道沿いにあった武将の邸宅、二の丸や寺院は燃えませんでした。

あるじを失いめぼしいものは持ち出され、
荒廃し再建されることなく
石垣だけを残して消えていった信長さまのお城とその城下町。
大手道の階段の段差は大きく、
すぐに息があがります。
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だんだん森が深くなり、
道の中に大きな木が立っています。
天主閣には清水の舞台と同じ「かけづくり」の大テラスがあり、
ある年の正月にはここから信長さまが大勢押し寄せた訪問客に
「皆の者よう参った、ここでは冷えるゆえ、先に南側を見物して待つが良い。」
と呼びかけたそうです。
平日の雪道でも訪れる人は少なくなく、
途中何人もの人とすれ違いました。
途中何人もの人とすれ違いました。

光秀謀反の原因はいろいろ推測されていますが、
最後には今刺せば信長さまとその世継ぎを必ず殺せるという
誘惑に勝てなかった光秀も、
御用とあればこの城に何度も登城し寝起きしていました。
安土桃山時代という日本美術の絶頂期の
立役者でもある信長さまの美の殿堂。
名だたる絵師に描かせた多数の襖絵や
名物茶道具がたくさん失われましたが、
その美の潮流は失われず、
秀吉さまの桃山時代に続いていきました。
カタルシスと信長さまのビジョンを感じる絶景を味わいに、
また何度でも来たいと思える場所でした。