今回は五回目の展示。
土生神社は車のお祓いや初詣に大行列ができる神社ではなく、
冠婚葬祭のための広い駐車場や社殿もない。
地域の人々の日々のお参りの集積のような神社。
朝に鎮守の森で器を並べていると、
本殿やお稲荷さん、祠からの二回の拍手が絶えません。
岸和田自然資料館の学芸員さんによると、
土生神社を囲む鎮守の森はいわばタイムカプセル。
この地域に人間がいなかった状態を保存しているそうです。
他の社寺林ではコンクリートの遊歩道の整備や
枯れた・倒れた木の撤去でコゲラなどの鳥が巣を作れず、
うまく幼木などが育たないことも多いようです。
ここでは今は地域にみられなくなった動植物が
綿々と世代交代を続けており、
さまざまな鳥の鳴き声に包まれ、
貴重なミミズバイの木が群生しています。
雨柄こばち https://www.iichi.com/listing/item/267051 |
ご祭神は学問と豊穣の神さま、菅原道真公。
普通 陶芸は火の神様とか竈の神様でしょうが、
言葉の一音一音を整え、故事を織り込み、
行間に美を込める、
詩人の神様の方に心が寄ります。
印花のマトリョーシカ鉢 https://www.iichi.com/listing/item/1164279 |
実は菅原家はもともと埴輪を作っていた土師氏でした。
祭器・土師器づくりだけでなく、
古墳づくりや葬送儀礼など大陸の技術に通じた渡来系の人々。
古墳づくりが行われなくなったころに
各地の土師氏が居住地にちなみ、
菅原や大江、秋篠に改姓したようです。
藁灰釉のマトリョーシカ鉢 https://www.iichi.com/listing/item/1164287 |
興味が湧いて道真公の詩を調べてみました。
鳥の蓋つき灰皿 https://www.iichi.com/listing/item/1164980 |
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな
など左遷後に読んだ
梅の和歌が有名ですが、
鳥も繰り返し道真公の詩に登場します。
たまたま街頭に午後の閑を得て (偶得街頭午後閑)
二三里外 出でて山を尋ねたり (二三里外出尋山)
緑柳依依として白日斜めなり (緑柳依依白日斜)
人跡 銷滅す 満庭の沙 (人跡銷滅満庭沙)
只だ今し暮に宿る簷間の鳥 (只今暮宿簷間鳥)
冥感 終に白鹿の馴るること無かりき (冥感終無馴白鹿)
外聞 蒼鷹と喚ばるるを免れんことを幸(ねが)う (外聞幸免喚蒼鷹)
応に政(まつりごと)の拙きに縁りて声名は堕つべし (応縁政拙声名堕)
豈に敢えて功成りて善最に昇らめや (豈敢功成善最昇)
行春詩というとても長い漢詩の後半の一部です。
行春というのは国主が春に国内を巡察する
つとめのことで、
当時 讃岐守だった道真公も毎年行いました。
「白鹿」は中国・後漢の時代に
出世を極め善政を布いた鄭弘(ていこう)が地方の太守だったころ、
行春に二頭の白い鹿が車の両脇に付き従う霊験があったという故事から、
「蒼鷹」は司馬遷の史記より、
若く向上心旺盛なため分かりやすい税の徴収実績で功を上げて
出世しようとする酷吏をこう表しました。
政の拙さによって 冥外応じて 名声は堕ちるのでしょう
あにあえて功が成ってから 最善の道に昇らめよう
そしてやはり
この森にもその精神が宿っているような気がします。
白鹿を恃まず、蒼鷹のようと言われず、仕事の拙さに応じて、
豈に敢えて功成りて善最に昇らめや。
主なしとて 春を忘るな
など左遷後に読んだ
梅の和歌が有名ですが、
鳥も繰り返し道真公の詩に登場します。
ミニチュア神亭壺 シュガーポット https://www.iichi.com/listing/item/1164986 |
たまたま街頭に午後の閑を得て (偶得街頭午後閑)
二三里外 出でて山を尋ねたり (二三里外出尋山)
鳥はよく饒舌にして渓辺に聴く (鳥能饒舌渓辺聴)
讃岐の国主だったころの歌の冒頭部です。
書類の山に辟易すると馬で山に入り、
詩情ある鳥の声や花の様子を愛でていたようです。
讃岐の国主だったころの歌の冒頭部です。
書類の山に辟易すると馬で山に入り、
詩情ある鳥の声や花の様子を愛でていたようです。
人跡 銷滅す 満庭の沙 (人跡銷滅満庭沙)
只だ今し暮に宿る簷間の鳥 (只今暮宿簷間鳥)
讃岐からから帰京したころ、
薨去した右大臣、おそらく源多(みなもとのまさる)の屋敷。
訪れる人の足跡が消えた夕暮れの庭、
のきに宿る鳥は道真公に重なります。
道真公のやはりという性質が表れている詩もあります。
藤原基経が無実の人を宇多天皇に配流するよう迫るに至って、道真公が基経に書簡をしたため、藤原氏が矛を収めるということがありました。
のちに宇多天皇は道真公を重用し、やがて藤原基経の子の時平が道真公を半ば罪人のように太宰府に左遷させ、
一説には刺客を送り太宰府に付いてきていた道真公の愛娘が殺されたと言われます。
外聞 蒼鷹と喚ばるるを免れんことを幸(ねが)う (外聞幸免喚蒼鷹)
応に政(まつりごと)の拙きに縁りて声名は堕つべし (応縁政拙声名堕)
豈に敢えて功成りて善最に昇らめや (豈敢功成善最昇)
行春詩というとても長い漢詩の後半の一部です。
行春というのは国主が春に国内を巡察する
つとめのことで、
当時 讃岐守だった道真公も毎年行いました。
印花スープカップ https://www.iichi.com/listing/item/1163931 紫陽花スープカップ https://www.iichi.com/listing/item/1163924 |
「白鹿」は中国・後漢の時代に
出世を極め善政を布いた鄭弘(ていこう)が地方の太守だったころ、
行春に二頭の白い鹿が車の両脇に付き従う霊験があったという故事から、
「蒼鷹」は司馬遷の史記より、
若く向上心旺盛なため分かりやすい税の徴収実績で功を上げて
出世しようとする酷吏をこう表しました。
冥が感じて 白鹿が私に馴れるようなしるしはついに無かった
外に聞こえて 私が蒼鷹と呼ばれることを免れれば幸いなことだ
政の拙さによって 冥外応じて 名声は堕ちるのでしょう
あにあえて功が成ってから 最善の道に昇らめよう
政を自分の仕事に置き換えて読むと、より味わいがまします。
レース地のスクエア皿 https://www.iichi.com/listing/item/1164873
木の葉地のスクエア皿 https://www.iichi.com/listing/item/1164883
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そしてやはり
この森にもその精神が宿っているような気がします。
オリーブの葉っぱ柄 中皿 https://www.iichi.com/listing/item/1164290 |
白鹿を恃まず、蒼鷹のようと言われず、仕事の拙さに応じて、
豈に敢えて功成りて善最に昇らめや。
藁灰釉とコバルトの流れ 大鉢 https://www.iichi.com/listing/item/1164291 |